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おすすめ図書をひとつふたつ その26

吉岡弥生伝
○初めに
どうして人間は雄雌両方の性があるのだろう?雌雄同体の動物だってこの世にあるというのに。そうすれば恋愛など無駄な時間を過ごさず、種の保存ができるではないか。
百歩譲って男にうまれたかったなあ。なんで女に生まれてきたんだろう。などとティーンエイジャーのころは考えていました。変な子だよねー。

この度、新潟市医師会に女性医師の会が設立され副会長の任を仰せつかりました。これまで男性だとか女性だとか考えて仕事をしてきたわけではなく目の前にある仕事をひたすら こなすべく日々を生きてきました。このような私にいよいよ「女性」を「考える」機会がやってきたのでした。

そんなわけで参考になる本はないかと探していたところ偶然、宿泊した宿で香川綾先生(女子栄養大学創設者)の自伝をみつけ、読みすすんでいくうちに東京女子医大出身とわかり、東京女子医大創設者である吉岡弥生先生の自伝にいきつきました。おりしもNHK朝ドラで 広岡浅子女史がモデルとなったドラマをやっています。同じ時代の話です。タイムリーだなあ、と思いご紹介する次第です。

○時代背景
吉岡弥生は明治4年(1871)生まれです。(ちなみに広岡浅子は嘉永2年(1849)生まれ、香川綾は明治32年(1899)生まれ)昔の人はお医者さんになるためには、どうしていたのでしょうか。江戸時代、原則、世襲制なのでお医者の子はお医者になったのでしょうが、そうでないうちの子は修行に出て、えらい師匠(たとえば尾形洪庵のような)のもとで学び、適当な時に独り立ちをしていたようです。昔のお医者さんはほぼ皆さん漢方医なので、脈や顔色をみて、判断し、生薬を調合して、投薬していました。ところが、医術開業試験、今の医師国家試験のような試験が明治8年からはじまりました。これによってだれでもお医者さんになれるわけではなく、西洋的な医学知識も必要となりました。試験は前期後期あり大変難しかったようです。しかし、この当時はまだ医学校の規定はなく、小学校卒でも医師になろうと思えばなれました。事実、吉岡弥生は小学校卒業のみでした。医術開業試験制度が始まってから試験のための専門的な勉強が必要になります。このため専門知識を教える予備校のような塾のような学校ができてきました。この塾は日本にいくつかありましたが入学試験はなかったようです。吉岡弥生が通った塾は「済生学舎」で毎月月謝を払って学ぶというシステムでした。
さて吉岡弥生は静岡県の医師の家に生まれ、兄2人がいましたが、2人とも済生学舎に通っていました。このため二人の兄を頼って上京したのでした。ここまで書くとなあんだ、お医者になるのって意外と簡単じゃん と思いますが、このような塾はしばらくの間、女子に門戸を開いていませんでした。済生学舎が女子生徒を初めて入学を許したのは明治17年、高橋瑞子さんが初めてで、それ以来、女医をめざす女子がこの塾に多く入学したようです。そして明治8年に始まった医術開業試験ですが、なんと女性に受験が許可されたのは明治17年でした。(遅っ!)
大正5年(1916)からは医学専門学校を卒業した者のみ受験資格が与えられるという、現在と同様の方式になりますが、その前は学校を卒業しなくても試験さえ受かればお医者さんに なれるという状況でした。
さて、女医さん第一号は荻野吟子(嘉永4年1851生まれ)です。16歳で結婚、品行の悪い夫から性病を移され離縁までされました。男性医師に治療を受けたことが屈辱的と思われ、同じ病気をもつ女性に対し女医の必要性を感じ女医になろうと決意した人です。初めは東京師範学校に入学し、先生になり、家庭教師などで学費をかせぎながら、受験のため私学の塾に通い、明治17年を待って受験、合格したのだそう。合格時は33歳となっていました。女医第2号の方は記録があまり残っていないとのことです。第3号は高橋瑞子(嘉永5年1852年生まれ)です。大変貧乏で、自律してお金持ちになりたいとの思いで志をたてます。まず、お産婆さんになってそれから婦人科医になろうと考えます。済生学舎は女子を入学させないと聞き、がんばって門戸を開き、とうとう医師になりました。
吉岡弥生はこのような先人たちががんばってくれたおかげで自分がいると考えていたようです。

○吉岡弥生の思いーーなぜ女子だけの医大を作ったのか?
私は新潟大学医学部の卒業です。大学に入学当時、女子医科大学の存在を知り、なんで女子だけの医大があるのだろうと思っていました。なぜだったのでしょう。

ひとつは母に対する思いがあります。以下、弥生本人の弁です。

朝夕の掃除、三度の食事、着物の繕いや洗濯、母は身を粉にして働き続けていたのでした。人の着物はこしらえてもめったに自分の着物をこしらえたことはありません。お風呂をたててもみんな順繰りに入れてしまって、一番あとの濁ったぬるいお風呂にはいらなければなりません。家族の者のためにいろいろおいしいご馳走を作っても、自分はみんな食事が終わった後で食べ残りのおかずを集め冷飯をよそってそれで満足していたようでありました。これはひとり私の母ばかりではなく封建的な当時の家庭では決して珍しくない光景でありました。晴れ着一枚作るのに、糸を取ったり、機を立てたり、着物を縫ったり、一枚の着物をつくる労力がどんなにたいへんなものか、そのたいへんな仕事を骨折りとも思わないで働き通している母に対して自分の実地の経験から新しい敬意と驚異を感じましたが、しかし時代のちがいは恐ろしいもので、私はどうしても母のような立場に自分の身をおきたいとは思いませんでした。古い家庭の中で女の伝統を守って一生を果たす夫人の根気と努力の貴いことは、改めていうまでもないことですが、日本の女がいつまでもこんな仕事に精力のすべてを費していていいものであろうか、時間の経済を図って、それだけの精力をほかにむければ、もっとなにか新しい大きな仕事ができるのではないだろうかーそういった反省やら疑問やらが湧いてきまして、私は二度と自分の晴れ着をこしらえてみる気にはなれなかったのであります。

つまり母の姿から女性の日常の大変さは力の無駄遣いと感じ、女子も仕事を持ち、その能力を活かして自律したいと感じたのでありましょう。

ふたつめは
通っていた済生学舎のひどさからでした。男子生徒からいじめられたり、野次をとばされたり、ストーカー行為があったり、それはそれはひどかったそうなのですが、学校側はそんな風紀問題に対して何も対策をとりません。なにせ女子学生を許可してすぐだったからです。そして一番こまったのが包帯の実習でした。男性の前で肌を見せることができなかったからです。女子だけの学校だったらどんなによいでしょう、と思ったに違いありません。

三つめは、済生学舎が廃校となったからでした。済生学舎の創設者は長谷川泰という人で、その当時、高橋瑞子が門戸を開いてから女子学生が多く通っていのだそうです。ところが済生学舎が専門学校に昇格するのに女子学生がいては足手まといになるというので、女子の新入学者を断り、さらに在学中の女子学生をも投げ出してしまいました。そうまでして専門学校昇格を準備していた済生学舎でしたが学閥派閥の関係やら慈恵にさきを越されたとかで舎長である長谷川泰は憤慨して学校自体を廃校にしてしまったのでした。しかし、その後、医師を目指す女子のことを心配し、弥生の所にさりげなく来て「できるか。」と聞いたのだそう。この「できるか」というのは、女子が入学できる、医学塾の開塾ができるかどうかという意味でした。それでは私が立ち上がろうと思い、自分が開業していた至誠医院の一室を女医を目指す者のため医学の私学塾として開講したのでした。ほとんど準備もせず「東京女医学校」の看板を出して。明治33年12月、弥生30歳のことでした。

本人の弁です。
済生学舎が女学生の入学を拒絶した知らせを聞いたとき私の頭へ一番先にきたのは、今後の女医の志願者の運命や日本の女医の将来がどうなるのであろうかという問題でありました。明治17年、先輩の高橋瑞子さんが身を投げ出して済生学舎の門戸を開いて以来、辛うじて女子就学の道が拓けそのおかげで私なども女医になれたわけです。その門戸が閉鎖されたのでは在学中の女学生を最後として日本の女医の根が立たれてしまうのは火を見るよりあきらかでした。そう考えていると血の気の多い私は立っても居てもおられない気がしました。殊に女医になろうとして準備をしていた人たちは不意に学校の門が鎖されて路頭に迷うような結果になっていましたから何をさしおいてもこの気の毒な人たちを収容して勉強を続けさせるようにしなければならぬと思いました。
学問もなければ財産もない、市井の一女医にすぎぬ私が、学校を作って、女医の養成にあたろうとしたのは冷静に考えたならば、あるいは無謀の業に近かったかもしれません。しかし
せっかくここまで築きあげてきた日本の女医の伝統はあくまでも守っていかねばならぬという使命感が私を立ち上がらせました。たとえ一時のつなぎにせよ、女医の命脈だけは絶ちたくないというのがそのときの私の衷心よりの願でした。

というわけで東京女医学校が始まったのでありました。たった一部屋、たった4人の生徒からの出発でした。
その後、この小さな私塾は,明治45年、東京女子医学専門学校に、昭和27年、東京女子医科大学へと大きく変貌をとげたのであります。

○夫婦愛
偉業を成し遂げた女性にいえる共通点は夫との夫婦愛がすばらしいことといえましょう。概して、皆 おおらかで、包容力があり、細かいことを言わず、協力的な旦那様が多いような気がします。吉岡弥生しかり、香川綾しかり、広岡浅子しかりです。女性が大きく羽ばたけるのは旦那の力と言っても過言ではないでしょう。

吉岡弥生の夫、吉岡荒太は佐賀県の出身、代々医師の家系でした。医師になるべく上京しましたがチフスになり脚気になり、療養生活を送りました。その後、生活費や学費かせぎのためドイツ語を教える私塾を開きます。そのうち弟2人が医師を目指して上京、弟たちの面倒みるためドイツ語塾がやめられなくなり、自分の医師になる夢はあきらめたという人、弥生はドイツ留学を目指してドイツ語塾に行ったさい、教えてくれた先生が荒太であり、荒太の弟たちに頼まれて結婚に至ったのでした。結婚後、荒太は親の勧めもあり、ドイツ語、英語、漢文も加え高校受験用の予備校とその生徒用寄宿舎と事業を拡大することにしました。この事業には夫婦ともども助け合って経営にのりだしましたが、やりくりはいつも赤字続きだったため、経済的に助けるため弥生は本格的に開業医として働きだします。これが東京至誠医院です。このような経緯があったため、弥生が女医学校を作ろうとして相談した際、荒太はもろ手をあげて大賛成だったのだそうです。

弥生いわく
荒太は女に対して別に西洋流の新しい意見を持った人ではありませんが、こせこせしたことを言わなかったところにこの人の持って生まれたえらさがありました。つまり目のあらい大きな網に私をつつんでくれたようなものであります。女の運命を決定する重大な結婚の出発点において、こうした無口でしかも包容力のある東洋型の人間を良人(夫)に選んだことがその後の私という者の成長にどれだけ幸いしているかしれません。私の選択は決してまちがっていなかったと信じております。

さて皆様、開運の鍵は家庭にあり、どこか遠くのパワースポットにあるわけではないようですね。結婚している女医の皆さま、家庭を清潔に、つつましく生活し、おいしい家庭料理をつくり旦那様を大切にいたしましょう。偉業がなしとげられますぞ。(今回はこれが言いたい。)

○おまけ
弥生が出た済生学舎ですが、創設者は長谷川泰、この方は長岡藩、藩医の家系で、なんとあの有名なご家老、河合継之助を看取ったドクターだったとのことです。
明治36年廃校になった済生学舎ですが、済生学舎同窓医学講習会が軸になり現在の日本医大となっています。
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少女が少女時代に読むべき3大物語

小さいころから思い込みが激しいタイプの私
10代の子供のころ

少女が少女時代に読むべき3大物語は
赤毛のアン、あしながおじさん、秘密の花園 だ
と勝手に思っていました。

なぜかよくわかりませんが、、、、

小さいころから本読みが好き、なので、いろいろ読んでました。
なんと小学生のときにルパンやホームズも読みましたが、
ハーレクインロマンスなんかも読んでいました。ひええ―――

ところでまことしやかに
少女が読むべき3大お話ってずっと信じていたのですが、
この年になり、そんなことは言われていないし、誰も言ってないとわかってきました。
なんでこの当時こんな風に思ってたのかは
不思議不思議
ほんと不思議

でもこれらは確かにこれらのお話は名作なので、女の子をお持ちのお母さん
ぜひ小学生時代に出会わせてあげてくださいね。
おすすめの本です。

さてその後の私はというと15歳くらいになると小生意気になってきて
フランソワーズ・サガン、サリンジャーなんか読んでましたね。
なんともはっきりしないストーリーで
雰囲気を味わうための物語でアンニュイな感じを楽しんでいたんでしょうかね。
不思議不思議

おすすめ図書をひとつふたつ その25

先日マララさんがノーベル平和賞をもらいました。記憶にあたらしいでしょう。
それで私もマララさん関連の本を読んでみようと
“私はマララ”読みましたよ。

その中でこの本は大好きで何度も読んだといっていたのが
この本
“アルケミスト”
アルケミスト

実はずっと以前に敬愛する友人Oさんから進められて読んでいたのですが
その時はあまり感動しなかったのです。
で、
読み直しました。

うっ・・・・・・

どどどどうしてあの時わからなかったのだろうと思う
珠玉の言葉がたくさん。

あーーあーー。なんという私
と崩れ落ちてしまったのだ。

世界でベストセラーになっている本、確かにそうだわ。

で、
あらすじは羊飼いの少年サンチャゴが夢にみたピラミッドにむけてスペインから
出発する。そしてピラミッドの近くでお宝は教会のイチジクの木の下だと教えられ自分の故郷にもどり、出発点の教会のイチジクの木の下を掘ったらお宝が出てきた、という
“灯台下暗し”の話なんだけど。いろいろな人に出会い、状況に出会い。する、
冒険ものなわけ。
あらすじそれ自体たいしたことないのだけど、であっていく人々の言葉がとにかく示唆に富んでいるんです。

「人は人生のある時点で自分に起こってくることをコントロールできなくなり宿命によって人生を支配されてしまうということ。それは世界最大級のうそじゃよ。」

「その不思議な力は否定的はもののように見えるが、実際は運命をどのように実現すべきかお前に示してくれる。そしておまえの魂と意思を準備させる。この地上には一つの偉大な真実があるからだ。つまりおまえがだれであろうと、何をしていようと、おまえが何かを本当にやりたいと思うときはその望みは宇宙の魂から生まれたからなのだ。それが地球におけるおまえの使命なのだ。大いなる魂は人々の幸せによってはぐくまれる。そして不幸、羨望、嫉妬によってもはぐくまれる。自分の運命を実現することは、人間の唯一の責任なのだ。すべてのものはひとつだ。お前が何かを望むときには宇宙全体が協力してそれを実現するために助けてくれるのだよ。」

「わしは必ずいろいろ形で現れるのだ。ときには一つの解決方法とか、良い考えとなって現れることもある。別の時には危機一髪というときに物事をおこりやすくしてあげることもある。もっと他のこともしているが人はわしがやってあげたということに気づかないのだよ」

「宝物をみつけるためには前兆に従っていかなくてはならない。神様は誰にでも行く道を用意していてくださるものだ。」

「幸福の秘密とは世界のすばらしさを味わい、しかもスプーンの油のことをわすれないことだよ」羊飼いは旅が好きになってもよいが決して羊のことを忘れたはならないのだ。

「人は自分の必要と希望を満たす能力さえあれば、未知を恐れることはない。私たちは持っているものを失うことを恐れています。しかし、自分の人生の物語と世界の歴史がおなじ者の手によって書かれていると知った時そんな恐れは消えてしまうのです。」

「錬金術師はしだいしだいに世の中の虚飾を捨て去ってしまった。彼らは金属を純化することは自分を純化することだと発見したのだよ。」

「わしは未来を推測しているだけじゃ。現在現れている前兆をもとに見るのだ。秘密は現在にある。おまえが現在によく注意していればおまえは現在をもっとよくすることができる。現在をよくしさえすれば将来起こってくることもよくなるのだ。毎日のなかに永遠があるのだ。」

「神様は、ほんの時たまにしか将来をみせてはくれぬ。神様がそうするときはたった一つの理由のためだ。それは変えられるように書かれている未来の場合だよ。」

「賢人は、この自然の世界はまぼろしで天国の写しにすぎないといっている。この世が存在しているということは単に完全なる世界が存在するという証拠にすぎないのだ。目に見えるものを通して、人間が霊的な教え神の知恵の素晴らしさを理解するために神はこの世をつくられたのだ。それが行動を通して学ぶといったことだよ。」

「なにをしていようともこの地上のすべての人は世界の歴史の中で中心的な役割をえんじている。そしてふつうはそれを知らないのだ。」

マララさんが繰り返し読んだという理由がわかるような気がしますね。
そして教育こそすべて。過激派のこどもたちにも教育をといっている理由がわかります。

小学生の読める本ですので、お子さんにどうぞ、おすすめです。

おすすめ図書をひとつふたつ その24

「目からウロコで賞」をあげたい図書
最近、いろいろな会を主催さてていただいてますが
実は私は口下手です。
参加していただく方々に満足してもらえないのではないか
と常におびえている毎日。
自分の親からも、夫からも
話方が変だと言われ続けている毎日。
そんな私に友人が送ってくれた一冊。

伝え方が9割

著者の佐々木さんはもともと理系で
人とあまりしゃべらず育ったのだそう
ですが、会社入社後の配属先はコピーライター
自分にできるのだろうか。と
ストレスで激太りしたのだそう。
それでもいろいろ勉強していたら
ある時気づいた、

法則がある。

人を感動させる言葉は作り出せる。

ということを。

それで
それを余すことなく著作されています。
いやーまさに天から光が降ってきたような
本だなああ。

世の中、
口上手ならよいのですが
私のように口下手で思ったことの3割も伝わらない
と悩んでいる方がいらっしゃったら
お勧めします。

伝え方が9割
すぐ読めます。

おすすめ図書をひとつふたつ その23

勤務医時代はとにかく仕事に追われていて、窓の外を見る余裕さえなかった。
今日の日がいったいいつなのか、今日の日の天気がどうなのか
それすらわからずに過ぎて行った日々。
いまから数年前、
大学病院を退職し、自宅の医院に入り、犬の散歩も私の仕事となった。
犬と一緒に自宅近くの防砂林の中を散歩するのである。
世の中には4つの季節があり、春夏秋冬の順ですすんでいく。
そんなことすらわからなかった。いや、気づかなかったのである。
生まれてこのかた40余年である。

“いったいこれまで私は何をしていたんだろう?”

がーーん、あたまを殴られた気がした。

そうだ、取り戻そう。
青春を取り戻そう。
そう決意した。
この豊かな四季を五感を使ってぞんぶんに堪能しまくろう。
そう決意した。

春:木々が芽吹く。小鳥の愛らしいさえずり。
夏:厳しい暑さの中、木立の風に一瞬の涼を感じる心地よさ。
秋:赤く黄色く変化する葉のなんと美しいこと。
冬:しんしんと降り積もる雪の音なき音。日本海の荒波の轟音。

なんと美しく豊かな季節を持つ国よ。日本に生まれて本当によかった。
この感動を誰かに伝えたい。

思っていたらこの本に出会った。
日本には4つの季節、24の節気、72候があるのだそうだ。
しかも一つ一つ名前がついているではないか。
たとえば3月の初旬は啓蟄(けいちつ)土の中の虫が動き出す時期とのこと
ああなんと
知らなかった。
知らなかったのは私だけだったのだ。
昔々の人びとは昔々からこのことをよくよく知っていたのだ
そして、日常生活に知恵として活かしていたのだ。
がーーん。再びあたまを殴られたような気がした。
なんと無知な私であったことよ。

さて前置きが長くなりましたが
今回のご紹介はこの本
“日本の七十二候を楽しむ”白井明大著
季節の説明はもちろんですが、挿絵がたくさん入っています。
しかも愛らしい挿絵なのです。

電子図書がはやりの昨今ですが
これは従来の本でほしい。
読み方としては
食卓の上に置いておいて
朝出勤前にパラパラめくり
今日がどんな日なのか知る。
仕事中、ふと窓の外を見てそのことを思い出す。
なんてのはどうでしょう。
小学生高学年から読めます。
一家に一冊ぜひどうぞ。

プロフィール

claraclinic

Author:claraclinic
八木澤 久美子。内科医。4児の母。ワーキングマザーの方々へ何か参考になるかと思いブログを開設しました。クララクリニックのホームページへもどうぞ!

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