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お知らせ

アンチエイジング勉強会のお知らせです。医療従事者限定です。3月1日午後7時からホテルオークラ新潟にて、行います。今回の講師は、神経内科小池亮子先生、循環器内科清水逸平先生です。小池先生からは認知症の臨床、清水先生からは血管老化についてお話しいただきます。大変興味深い内容です。皆様是非お越しください。
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働くということは その2 労働の尊厳

日本を占領したときの占領軍マッカーサー元帥が日本人の労働観について語ったという記事がありましたのでご紹介いたします。(これも稲盛和夫さん談の文章からです。)

昭和26年5月3日アメリカ合衆国委員会で行われた極東政策についてマッカーサー元帥の言葉です。

太平洋において、われわれは彼らを包囲したのです。日本は八千万人に近い膨大な人口を抱えそれが4つの島の中にひしめいていました。その人口の半分が農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。潜在的に日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいずれの国にも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は人間が怠けている時よりも、働き、生産をしている時の方が幸福なのだということ、つまり、労働の尊厳と呼んでもいいようなものを発見していたのです。
これほど膨大な労働能力を持っているということは彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。日本は絹産業以外には固有の産物はほとんど何もないのです。彼らは綿がない、羊毛がない、石油の算出がない、スズがない、ゴムがない、その他実に多くの原料が欠如しております。そしてそれら一切のものがアジアの海域に存在していたのです。もし、これらの原料の供給を断ち切られたなら、一千万から二千万人の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。従って彼らが戦争に飛び込んでいった動機は大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。


戦前の日本人は勤勉、ただそれだけでなく労働の尊厳を知って働いていた。ということをマッカーサー元帥の言葉から察すことができます。




つまり働くことによって私たちは私たち自身が育てられ、人格を向上させることができる。その事実を知って働けば、知らないで働くよりずっとずっと達成感ひいては幸福感も感じることができる、と私は思うのです。

働くということは

先日、県医師会の座談会に参加させていただきました。内容は「医師の働き方を考える。」がテーマでありました。
話を聞いてみると、当直後に翌日も休むことなく外来がある、これはおかしいとか、医師のワークライフバランスとは、などなど。で、なぜ私も参加せよと言われたのかというと、女性医師の立場から答えてほしいとのことだったのですが、
私は言いたいことも言えず終わってしまいました。
私の言いたいことそれは、「働くということはすばらしい。」ということ。
私は働くことが大好き、働くことができないとうつ病になるだろうな、と思う。
そして、
稲盛和夫さんの著書「生き方」に出会い、同じ考え方を持つ人がいると思いうれしくなりました。

著書より一部抜粋して述べます。

労働で得られる喜びは特別な喜びであり、遊びや趣味とは全くとって替えられない、精神を集中し、飽くことなく努力し、
辛苦を克服して目標に達したときの達成感は、世の中で他には比べられない喜びである。

仕事の現場がいちばんの精神修養の場であり、働くこと自体がすなわち修行なのです。日々の仕事にしっかりと励むことによって、高まんな人格とともに素晴らしい人生を手に入れることができるということをぜひ心に留めていただきたいと思います。


こんなことを
議論したかったのになあ。

柚子の木の話

生まれてすぐ、発症する白血病があります。(かなり特殊です。)
その診断には電子顕微鏡による組織診断が必須で
大学に勤めていた時、小児科から電子顕微鏡写真をとる依頼がきたことがありました。
さっそく、電子顕微鏡用の資料作成は検査技師のTさんにお願いし、写真を撮ったところ
間違いなく、思ったとおりの白血病だったのですが、私だけの診断では心もとないので(まだ若かったし)
組織学の上司K先生のもとを訪ねることにしました。
K先生はその当時、長岡日赤病院に赴任したばかりでした。
長岡日赤病院のK先生も電子顕微鏡写真をみてくださり、「診断は間違いないですね」とのことでした。

さて長岡日赤病院へはあまり行きません。
それで何か記念に残るものでもと思い
帰る前に売店にいきました。
そこに1鉢、たかさ80cmくらいで痩せ細った柚子の木がありました。小さい柚子が2個なっていました。
観賞用のゆずでしょう。何となく購入しました。
その当時、はやっていた風水の話で庭の西側に黄色い実をつける木を植えると金運が良くなるとのこと、これを思い出したのでしょう。

買って帰って、しばらく玄関先においていましたが、せっかうなので庭に植えることにしました。おそらくかれてしまうでしょうが、かわいそうなので、かれる前に庭に植えてあげようと思ったのです。

そして、その後私はは植えたことを忘れていました。

それからたぶん8年くらいたった時でしょう。

夫が庭に柚子がたくさんなっているとゴルフボールより小さいくらいの柚子を30個くらいもってきました。
柚子2017

えっ、柚子なんてうちにあったっけ。

そうです。植えたことを忘れた柚子です。
そもそも、かれなかったのね。

12月の忙しい時期でした。
せっかくなので。半分はお風呂に、半分はお正月料理や、白菜漬け、切干漬けにつかいました。

庭で柚子がとれた話をお義母さんにしたら、毎年どんどん実が大きくなるのよ
と教えてくれました。が、私は半信半疑で雪が降る新潟でかんきつ類が育つわけがないとその時思っていました。
ところが
義母の言ったとおり、実の大きさも大きくなり、数も増えました。
この年は柚子ジャムをつくりました。柚子のへたと種以外すべて使ってつくりました。
もちろんのお正月料理、漬物にも使いました。
その次の年は柚子こしょうに挑戦、とっても上手にでき感激しました。
柚子こしょう2017

そして今年、夏のあいだうどんこ病のような状態になりましたが、農薬を使わずがまん、
青柚子33個を使い柚子こしょうを作りました。ファンがつき、わが家以外3けん冷凍して送りました。柚子こしょうであまった実はしぼって柚子ポン酢をつくりました。
しぼったかずは麻袋にいれてお風呂で柚子湯を楽しみました。

ゆずはまだ20個くらい木になっています。
白菜漬けやお正月料理での出番をまっています。黄柚子があまればジャムも作ります。

風水で黄色の実のなる木を西に植えると金運よくなるとのことでしたが、お金にかえられない豊かさをもたらしてくれました。私は水すらあげないし、肥料もまかないのに柚子の恩恵はかずしれず。

もしK先生が長岡日赤病院に赴任しなければこの柚子の木に出会えなかったし、そもそも小児科から検査依頼がなければ電子顕微鏡写真はとらなかったのだからご縁とは不思議なものです。

ながながとすみません。
何のことのない柚子の木のお話でした。
おしまい。

夏の終わりに2017

久しぶりの投稿です。
暑さ寒さも彼岸まで
とは 昔の人よくいったものです。ようやく夏の気分終わり
ひまわりと朝顔の処分がすみました。
今年も実家いがいどこへも行かず、ずーっと仕事をしていた夏でした。
ひまわり2017
ひまわりの栽培は毎年うまくいかないことが多かったのですが今年はすくすく
約2Mくらいまで大きく育ってくれました。
違いは、、、、
肥料をやったこと。毎年ケチって肥料をやらず、、、、
反省点です。
朝顔2017
朝顔は例年通り、すくすくと育ちました。
西洋朝顔より日本朝顔の方がいいみたいです。
葉っぱが多すぎず少なすぎず。
部屋側から見ると幻想的です。
朝顔うらから2017
毎日花を見て過ごすことができ
今年も幸せな夏でした。

プロフィール

claraclinic

Author:claraclinic
八木澤 久美子。内科医。4児の母。ワーキングマザーの方々へ何か参考になるかと思いブログを開設しました。クララクリニックのホームページへもどうぞ!

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